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こんにちはもしくはこんばんは。約一ヶ月ぶりにブログを書くチューターです。


高3の皆さんには10月から11月にかけて秋の模試ラッシュ(?)が待っていると思います。それに向けて、「試験で実力を出し切る」とはどういうことなのかについて僕なりの考えを皆さんに伝えようと思います。(高1、高2の方々にも読んで欲しいです。)


まず、「実力を出し切る」とは、「解ける問題をすべて解く」ことだと思います。つまり、自分の力で取れる範囲で得点を最大化するということです。「そんなん当たり前やろ。何を今更。」と思うかもしれません。しかし、高校生の頃の周りを見ていると、これが出来ていない(ように見える)人が意外にも多かったのです。

大体の人は受験期になれば勉強はします。が、まじめに勉強する人ほど「得点の最大化」について考えていない気がします。実力を上げて、解ける問題を増やすことだけに執心してしまっていることが多いのです。

難しい問題を解くことができて知識の引き出しは十分にある。しかし、テストの点数はいまひとつ。こんなもったいないことはないですね。


では得点を最大化するにはどうすれば良いのでしょうか。大切な事は二つです。


一つ目。「解けない問題は即飛ばす」です。当たり前のことなのに、なぜか解けない問題に固執する人がたくさんいます。捨てる勇気も大切です。

二つ目。「解けるかどうか、解けるとしたらどれくらい時間がかかりそうか、の嗅覚(?)を身につける」です。これはすぐには身につきません。普段から時間を意識して感覚を身につけていくしかありません。この感覚を身につけようと考えながら勉強している人は多くはないかもしれませんが、実戦においてはとても重要な感覚です。この感覚が得点の最大化、「実力を出し切る」ための鍵になります。


試験の受け方一つで点数は大きく変わります。実力を上げていく努力と同時に、点数の取り方にも注意を払ってもらいたいです。

 こんにちは。少人数ではあるものの来月にやっと大学での新入生歓迎会的なものが開催されることになり、どんな自己紹介をしようか悩んでいるチューターです。受験生はそろそろ学校のイベントも終わり、後は模試とプレテストを繰り返す毎日という状態だと思います。模試だらけの生活はきついとは思いますが、だからこそその模試を最大限に有効活用しなければなりません。せっかく一日使って大変なことしたのに特に意味はなかったなんてことがあったらそれこそ時間と体力の無駄です。今回はそんな模試の有効活用について個人的な一例を紹介したいと思います。


 まず模試を受けないと出来ないこととはなんでしょうか?合否判定が出される、自分の立場が分かるなどたくさんあると思いますが、私は模試独特のアウェー感を感じることだと思います。普段勉強している場所は普段から利用しているので場所慣れしてしまったり、周りの人は知った顔だったりします。ですので本番と同じ環境で過去問を解こうとしても緊張感を出すのが難しくなってしまいます。しかし校外模試の場合、知らない場所で知らない人に囲まれた状態で問題を解く必要があります。このアウェー感は模試でないとなかなか感じることは出来ないのではないでしょうか。そしてこの環境の中で本来の力を発揮する能力も受験に必要なスキルです。これを磨くまたは確かめることが出来るのは模試だけなのではないのでしょうか。


 次に模試が終わった後です。受験生は学校の人などから鬱陶しいと思うくらいこんなことを言われていると思います、模試の復習をしろと。ですがこれは私も言います。模試の復習はしたほうがいいです。例年だと「本番に似たような問題が出るかもしれないから」といった理由があるのですが今年は例年とはだいぶかけ離れているのであまりこのようなことはいえないかもしれません。しかし本番に一番似た雰囲気の問題は模試から得られると思います。共通テストは初めてなので、共通テストの対策が十分な参考書などは少ないと思います。せっかくの数少ない共通テストの対策をしている問題集なのですから使っておいたほうがいいと思います。


 次に結果が返ってきたときです。結果が返ってきたとき、まず始めに確認すべきは、個人的には点数だと思います。以前行った自己採点と実際の点数を比較して、間違いはないのか、あった場合はどの科目でどれくらいの誤差であったのか確認することが必要だと思います。本番は自己採点を頼りに志望校を決めなければなりません。ですので自分の自己採点の信憑性はどれくらいのものなのかを知っておく必要があります。自分の自己採点は実際より高くなることがい多いのか、はたまた低くなることが多いのか、数点の誤差で収まることが多いのか、大きくずれることもあるのか(大きくずれるのはまずいとは思いますが...)、これらを知っておくことで志望校選択で事故が起こらないようにすることが大事だと思うのです。


 最後に合否判定についてです。気にするなといわれてもやはり気になってしまうこのアルファベットです。これはモチベーションにつなげられるのなら気にしてもいいと思います。受験生にとって警戒しなければならないのはモチベーションの低下です。E判定を取って落ち込んでしまったり、逆にA判定を取って油断してしまったりすると周囲は勉強しているのに自分だけ勉強していない状態が発生してしまいます。これでは敵に遅れを取ってしまいます。ですが自身の合否判定による危機感または優越感で勉強に集中できるのであれば、それは受験生にとってプラスになります。ですので気にするのには条件があります。満足しない判定を取ってしまうと落ち込んでしまう人に少し救いとなるかもしれないことを言うと、冬ギリギリまでD判定でも場合によっては合格できます。思ったよりいます。だからといってDでも大丈夫というわけでもありませんが、一人で悩みこんでしまうほど落ち込む必要もないと思います。


 いかがでしたでしょうか。これらは一例なのでほかにもこれらよりもっと有効な手段もあると思います。せっかくの模試なのですから使えるものはすべて使ってしまいましょう。

 こんにちは。委員会の集まりが対面で出来るようになって楽しみにしているチューターです。皆さんの中には先生の言っている授業の内容をそのまま信じてしまう人もいると思います。わざと嘘を教えるような先生はいないと思いますが、間違えてしまうことはあると思います。また、地理などでは情勢が変化して昔の情報が使えないという事態も発生します。理系科目だと先生が遠回りして問題を解いているなんてこともあるかもしれません。ですので授業中に先生が言っていたからといって信じ込むのではなく、一度は自分で調べるなり考えるなりすることが重要になってきます。そこで今回は未だに賛否両論ある一つの話を私なりの考えでしようかと思います。高齢者などは否定派が多いのかなとも思う話題です。勉強とは直接関係はありませんが、目上の人に言われたことに対して考えてみるという姿勢を知ってもらえたらと思います。


 皆さんは「ら抜き言葉」というものをご存知でしょうか。例えば「食べられる」を「食べれる」と表現したりする言葉を指します。現在ではら抜き言葉の使用率は半分を越え、かなり国民にも浸透し始めています。しかしこの言葉、大人の方の中では否定的な人もいるのです。「正しい日本語も使えないのか」と怒られてしまったりします。そこで、ら抜き言葉は本当に間違った日本語であるのかを考えてみたいと思います。ここから先は私の支持している考え方の紹介ですのでこれに反対の人もいるかもしれないということをあらかじめ伝えておきます。


 まず「ら」を抜く前と抜いた後の言葉の意味について考えてみたいと思います。「食べられる」には現代において、可能、受身、尊敬の意味があり、文脈に合わせて意味を使い分けています。一方「食べれる」には可能の意味しか存在せず、文脈から推測せずとも可能の意味を表していることが分かります。つまり一部の人は、文字数を減らして一つの意味しか持たない単語にすることを間違った日本語といっているのです。ではこの事象をほかの動詞で考えてみます。


 「書く」という動詞の受身、尊敬の形は「書かれる」です。また、可能の形は「書ける」です。この単語は受身、尊敬の形と可能の形を別のものとしていて、可能の形のほうが文字数が少ないです。また、「話す」という動詞にも「話される」と「話せる」があり、同様のことが言えます。では「食べる」も同様に言うことは出来ないのでしょうか。


 日本語の研究者の中には「ら抜き言葉は厳密にはar抜き言葉である」と主張している人がいます。確かに「食べられる」は「taberareru」となるので、arを抜くと「taber eru」となり「食べれる」と読むことが出来ます。ではほかの動詞ではどうでしょうか。例えば「書かれる」は「kakareru」なのでarを抜くと「kak eru」となり「書ける」と読めます。また「話される」は「hanasareru」なので「hanas eru」となり「話せる」と読めます。ここで一つの可能性が浮上します。「食べれる」も「書ける」や「話せる」と原理的に同じなのではないかと。そうです。実は原理的には同じなんです。そしてそのことを説明するために「ar抜き言葉」という表現をしたのです。現在はこの考え方が優勢です。


 もちろんこれに反対する人もいて、それなりの根拠を挙げている人もいます。例えば、古文で助動詞「る」が着く動詞と「らる」が着く動詞が存在するのと同じ原理だといったものです。またビジネスの場ではまだら抜き言葉は浸透していないのも事実です。しかし皆さんの身の回りの人はここまで知ってて「ら抜き言葉を使うな」と発言しているのでしょうか。そのような人は少数派だと思います。


 いかがでしたか?私自身はら抜き言葉肯定派ですのでこの立場から説明しましたが、調べた結果否定派になったとしても問題はありません。先生などの目上の人から言われたことについて自分でも考えてみるということが重要なのです。先生などに「ら抜き言葉は間違った日本語だからな」といわれて「へ~」で済ますのではなく、そこに疑問を抱くことや自分なりの考えを持つことが重要なのです。



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